東京家庭裁判所 昭和43年(家)7668号 審判 1969年6月20日
国籍 アメリカ合衆国 コロラド州 住所 東京都大田区
申立人 ジョン・エス・クラーク(仮名)
国籍 アメリカ合衆国 住所 アメリカ合衆国 カリフォルニア州
相手方 マリー・エル・クラーク(仮名)
主文
(一) 申立人を事件本人キヤミル・デイ・クラークおよびエラ・イー・クラークの監護者と定める。
(二) 相手方は、事件本人らと一九六九年の夏期休暇の全期間(夏期休暇の開始一週間後より新学期開始二週間前まで)、および一九七〇年と一九七一年の夏期休暇中それぞれ六週間を、相手方住所において、面接交渉することができる。申立人は、右期間中相手方と事件本人らとの面接交渉に協力しなければならない。この場合の事件本人らの海外渡航旅費ならびに相手方の許に滞在中の事件本人らの生活費は申立人の負担とする。
(三) 相手方は、一九六九年から一九七一年まで、冬期あるいは春期休暇のいずれかの休暇中、毎年一回一週間を、日本において事件本人らと面接交渉することができる。申立人は右期間中、相手方と事件本人らとの面接交渉に協力しなければならない。この場合の相手方の来日旅費その他の費用は相手方の負担とし、事件本人らの生活費は申立人の負担とする。
理由
一、申立の実情
(一) 申立人と相手方とは一九五二年一〇月一六日モロツコ・タンジユールにて婚姻し、二人の間には一九五四年五月二九日長女キヤミルが生まれ、一九六一年六月一五日二女エラが生まれた。申立人は家族を伴つて昭和三六年(一九六一年)一一月来日し爾後日本に居住していた。
(二) ところが申立人と相手方とは性格不一致のため昭和四二年(一九六七年)四月一三日ウイスコンシン州ミルウオーキーおよび東京において別居合意書を作成して別居したが、同年五月一六日メキシコにおいて離婚した。
(三) 右離婚の判決において引用された前記別居合意書第五条によると事件本人らの親権・監護権は申立人と相手方とが共同して行なうことになつているが、最近、申立人と相手方において事件本人らに対する親権の行使について意見が一致しない。しかし、申立人は再婚し、妻とともにあたたかい家庭環境のもとで事件本人の監護養育に愛情をそそいでいるものである。そこで、この度、前記別居合意書五条C項中の「監護権又は面接権に関して紛争のある場合には各当事者は当該子供の当時住んでいる土地にある管轄裁判所に監護権又は面接権について子供の最大の利益のためにその決定を求める申立ができる。」旨の条項に基づき事件本人らの親権者、監護者を申立人と定める旨の審判を求め、かつ、親権者、監護者でない親と子との面接交渉についての適当な処分を求めるため、本件申立に及ぶ。
二、当裁判所の判断
(一) まず、本件は渉外事件であるから当裁判所の裁判権の存否ならびに準拠法について判断する。
(1) 本件記録中の別居合意書、メキシコ国の離婚判決各写し、外国人登録済証明書三通、申立人と相手方各第一回本人審問の結果ならびに本件記録中のその他の資料を総合すると次のとおりの事実が認められる。申立人と相手方とはいずれもアメりカ合衆国人であつて、申立人主張の頃婚姻し、その主張の頃事件本人らが出生した。申立人は株式の売買を主な業務とするエム・アール・ピー株式会社の極東副社長として昭和三六年(一九六一年)一一月家族を伴つて来日し現在に至つているもので、今後もしばらく日本に滞在する予定である。申立人と相手方とは昭和四一年(一九六六年)頃別居し、相手方は米国に帰国し、申立人と相手方とは翌年四月一三日付の一七条から成る別居合意書に申立人は東京において相手方は米国ウイスコンシン州ミルウオーキーにおいてそれぞれ署名して、当事者間の別居合意が成立した。右別居合意書において、当事者は終生別居することを確認し、夫婦間の財産上の権利義務および子の扶養等について定めるほか、子の監護について第五条おいて定めている。すなわち、第五条は、「第一項、両当事者は当事者の子供らの法定監護を共同監護とする。第二項将来当事者の書面による合意により改められるまで、子供等の身上監護はつぎのとおりとする。(a)当事者はキヤミルの居住と教育に関する現在の状態を可能な限り継続することを意図する。(b)夫又は妻はいつでも合理的な時期に、通知の上で一人又は二人の子供が他方当事者の監護の下にある期間面接権を有する。(c)監護権又は面接権に関して紛争のある場合には、各当事者は当該子供の当時の住所地の管轄裁判所に監護権又は面接権について、子供の最大の利益のため決定を求める申立ができる。(中略)どちらかの親が監護権を有しない場合にもその親は、一方若しくは双方の子供について、毎年夏休み期間中、又は学校の休暇中監護権を有するものとする。(d)監護権又はこの合意その他の部分についての決定は、ニユーヨーク州法に基づきなされ、裁判所およびかかる決定をする機関の判断はニユーヨーク州法により導かれるものとする。」というのである。その後相手方が原告となり、申立人が被告となつて、一九六七年五月一六日メキシコ国チワワ州ブラヴオ地方第三民事裁判所において、性格の不一致を離婚原因とする離婚判決を得た。右離婚手続には原告である相手方および双方当事者の代理人がそれぞれ出頭している。そして右離婚判決において、申立人と相手方との婚姻の解消を認容し、事件本人らの監護については申立人と相手方の共同監護 custodiade ambas Partes (joint custody)の下におくこととし、かつ、一九六七年四月一三日の別居合意書を全文そのまま認め、判決文の一部として引用し、その合意書は本判決により失効せず、判決の後も効力を持続し、常に両当事者を拘束するものである、と述べている。
申立人と相手方との別居以来、事件本人らは申立人方で養育されている。また、申立人は、海外生活が永く、米国において比較的永く住んだのはコロラド州で同州に不動産を所有し、申立人の両親も同州に居住しており、将来帰米の際は同州に居住することになる。
以上の事実が認められる。
(2) ところで、本件は後述するとおり未成年者の監護に関する裁判を求めるものであるところ、前記認定の事実によれば未成年者らの父である申立人は日本に住所を有し、未成年者らも申立人のもとに居住するものであるから、本件未成年者の監護に関する裁判については日本の裁判所が裁判権を有し、かつ、申立人らの住所地を管轄する当裁判所が管轄権を有するものと解される。未成年者の監護その他その福祉の増進に関する問題については未成年者の住所地の裁判所に裁判管轄権ありとするのが、各国国際私法の原則にもかない、かく解するについて、当事者間に締結された前記管轄の合意に拘束されるものではないと解される。
(3) 次に、申立人の本件申立の趣旨は、前記認定のメキシコ国における離婚判決により定められた事件本人らの監護責任者を父母共同から父単独の監護に変更し、かつ監護者でない親と子の面接交渉に関する裁判を求めるものであるが、未成年者の監護に関する問題は親子間の法律関係に属するものと解されるから、本件の準拠法としては法例二〇条により父の本国法を適用すべく、然るときは法例二七条三項により申立人の本国法であるアメりカ合衆国コロラド州法によるべきこととなる。
前記認定の事実によるとメキシコ離婚判決において離婚後も拘束力をもつものとして引用された一九六七年四月一三日付別居合意書において、子の監護に関する問題の処理についてはニユーヨーク州法を準拠法とすべき旨の条項が定められているけれども、わが国の裁判所における渉外的子の監護者決定の準拠法はもつぱらわが国の国際私法たる法例によるべきものと解されるところ、わが法例上は渉外的身分関係の安定と、子の福祉の増進という公益性の強い親子間の法律関係について、二〇条により父の本国法と規定し、私的自治の原則を認める余地はないから、前記準拠法に関する当事者間の合意は何ら当裁判所を拘束する効力を有しないものと解される。
(4) ところで、本件はメキシコの裁判所においてなされた監護決定の変更を求めているものであるが、コロラド州法によれば、離婚裁判所のなした子の監護に関する裁判を、子の福祉のための必要により変更することができるとされており、外国裁判所のなした離婚判決にともなう子の監護の決定についても同様であるとされているので、コロラド州法の適用によつて、メキシコの裁判所における共同監護の決定を変更することは許されると解される。そして、コロラド州法を含め総じてアメリカ法における子の監護 Custody に関する問題は主として子の身上監護に関するもので、裁判所は監護の決定とともに監護者とならない親の面接交渉について裁判すべきものとしており、わが民法上の親権よりも狭く、親権の内容の一部である身上監護権の概念に近いものと考えられ、しかも本件は一度なされた監護決定の変更ならびに面接交渉に関する決定を求めるものであるから、本件申立は結局、わが家事審判法第一項乙類四号の監護者の変更その他必要な処分を求める申立に該当するから、日本法上右の審判手続により審理すべきものと解される。
(二) つぎに事件本人らの監護者を変更することの当否について判断する。
(1) 子の監護責任を共同のままとするか父母いずれかの単独とすべきかについて考えてみると、本件の準拠法であるコロラド州法には共同監護を禁ずる制定法判例法を見出し得ず、父母平等の思想からすれば、父母が共同して子の監護を行なうのが理想的であるが、父母の離婚によつて父母が共同して監護権を行使し得ない状態に立至つたときは、父母共同監護をそのままにすると、かえつて未成年の子に対する教育監護義務の履行について円滑を欠くに至り、子の福祉を害する虞があるから単独監護の方針をとることがのぞましいと解される。現在、相手方は米国もしくは英国に居住し、申立人は日本に居住する本件においては、共同監護の実を挙げることは困難であるから、共同監護を父母いずれかの単独監護者に変更するのが相当と判断される。
(2) そこで、次に申立人と相手方のどちらが事件本人らの単独監護者として適当であるかについて考えてみよう。
当庁調査官寺戸由紀子の昭和四三年一二月一四日付調査報告書、通事長村滋の通訳による参考人イリエット・デー・キヤリー(牧師)、同ブレイカツト・ジヨセフ(牧師)、申立人、相手方第一ないし第三回各本人審問の結果ならびに関係者の私信、上申書その他本件記録中の一切の資料を総合すると次のとおりの事実が認められる。
(イ) 申立人と相手方とが離婚するに至つたのは、別居合意書およびメキシコにおける離婚判決に確認されたように当事者の性格の不一致ということであつた。その一端は、相手方がテニスの選手としてすぐれた才能を有し、世界選手権競技などで世界各地を旅行して家庭を留守にすることが多く、活動的、社交的であつたため、安定した家庭生活を送ることをのぞむ申立人と、次第に夫婦の性格や考え方の相違がはつきりしてきたことによるものであつた。
(ロ) 申立人は前記の職にあつて年間約四万ドルの収入を得、七室の社宅に居住している。申立人は相手方との離婚後米国籍を有する婦人と再婚し、同人との間に一九六八年一一月男児が出生している。
申立人は地味な安定した人柄で、事件本人らの養育のためによい環境を与えることに全力を尽くしている。申立人の妻は家庭的な性格の人柄で申立人と協力して、事件本人らのためにあたたかい家庭をつくるように努力し、事件本人らの身のまわりを清潔に保ち、特に事件本人エラのしつけと教育に留意し、熱心に学校との連絡をとつている。
申立人が別居合意書において事件本人らの監護を共同監護とすることに同意したのは、当時当事者双方の生活設計が定まらず、事件本人らが幼くその意思もはつきりしなかつたことによるもので、現在においては申立人が事件本人らの監護について全面的責任を負いたいと考えている。
(ハ) 相手方は社交的、活動的な性格で、現在高校の体育の教師として年収七、〇〇〇ドルを得るほか、申立人から週一〇〇ドルの扶養料を得ている。しかし最近では腕をいためたため、体育教師をやめて語学教育を勉強し英国に渡つて外国語の教師になろうと計画しており、審判時においては英国における新たな職業や住居は定まつていない。相手方は、はじめ事件本人ら二人とも引とりたいと考えていたが、最終的には少なくともエラを引とりたいと考えており、英国に行けば間もなく職も定まり、申立人から離婚の際支払われた一万七、五〇〇ドルをもつて新しい住居を購入することも容易であり、そうすれば事件本人エラの引取りも可能であり、申立人から扶養料と教育費の支払を受ければ、事件本人エラを養育するこことは可能であると考えている。そして事件本人キヤミルとは面接交渉を保ちたいと熱望している。
(ニ) 事件本人らは東京アメリカン・スクールに在学し、健康に成育しており、現在の環境に順応しており、申立人の妻ともよい関係が保たれている。特に事件本人エラは、相手方のしばしばの旅行のため日本人メイドに委されていたため、日本語しか話せず、英語の習熟が充分でなかつたため、アメリカン・スクール入学後の適応が心配されたが、申立人妻の熱心な指導のため最近は次第に英語の力もついてきている。しかしながら語学力不足のため、姉キヤミルに対する依存度は大きい。
事件本人キヤミルは現在満一五歳であるが年齢よりは成熟しており、事件本人エラにも心理的によい影響を与えており、現在満八歳のエラの成長にとつて欠くことのできない存在になつており、事件本人キヤミルと同エラを離ればなれにすることは姉妹どちらかの心にも傷を負わせることになりかねない様子が見受られる。そして、事件本人エラは幼い頃相手方と別れたため相手方にさほどの愛情を示していないが、事件本人キヤミルは相手方と常に文通を保ち、相手方に深い愛情をもつている。同キヤミルは両親の双方と継母に対しても同じように愛情をもつており、かつて一一歳頃アメリカの寄宿学校に入れられたことがあり、その頃の孤独な生活に対する暗い印象を心に刻みつけられているため、相手方に引取られることによつて再び寄宿学校に入れられることをいとい、かつ現在の家庭と学校の生活に心の安定を見出しているため、当庁調査官や牧師である参考人らに対しし、また相手方自身に対し、高校卒業までは日本で申立人のもとで暮したい意思をはつきり表明している。
(ホ) 当庁調査官寺戸由紀子および米国人牧師である参考人らは、申立人、相手方およびキヤミルと話合つた結果、子供達は現在の状況では、申立人が監護することが子供たちの福祉のために最善の方法であること、キヤミルとエラとを父と母に一人ずつ分けて監護することは、子供たち、特にエラの精神的な安定と学業の進歩を著しく害するおそれがあること、したがつて子供たちは二人とも学校の休暇中を相手方のもとで過すようにするのがよいという意見をもつている。
以上の事実が認められる。
(3) 事件本人らの監護者として、父母のどちらかに定めるについては、父母の人柄、収入、職業、住居、生活環境、未成年者の年齢、成長状況およびその意思など、未成年者の最善の福祉擁護の見地から各当事者の経済的、社会的、心理的諸条件等一切の事情を比較衡量して決すべきものと解される。然るときは、事件本人キヤミルについては、満一五歳の年齢とその成熟度に照し、本人の意向を尊重すべきものと考えられるので、本人が申立人の監護に服することを希望していることおよびその他一切の事情を斟酌して同人の監護者を申立人と定めるべきものと判断する。
また、申立人の経済的、社会的、性格的な条件が相手方に比して安定していること、事件本人キヤミルと同エラとの心理的依存度その他一切の事情を斟酌すると事件本人エラについてもその監護者を申立人とするのが相当であると判断する。
(三) つぎに相手方と申立人との面接交渉について判断する。
本件の準拠法であるコロラド州法において、裁判所の監護に関する裁判において監護権のない親と子との面接交渉について定めることができるとされており、申立人および相手方はいずれも監護権をもたない親の子との面接に同意し、この点について具体的方法のとりきめを求めているので、考えてみると、事件本人らは小学校および高校の生徒であるから、学校の休暇を相手方との面接交渉にあてるのが適当であろう。そして、相手方が昨年夏休みに事件本人らと過す機会を持たなかつたことを考慮し、相手方は、本年は事件本人らを夏休みの全期間、すなわち夏休みに入つて後一週間後から、新学期の始まる二週間前までの期間を相手方の住所において過させることができるものとし、一九七〇年および一九七一年の夏休みには、その期間中の適当な時期に六週間を相手方のもとで過させることができるものとするのが相当である。さらに学期中の冬休み、春休みの際には、そのうちいずれか一つの休みを選んで、相手方が来日し、事件本人らと一週間の期間面接交渉することができるものとするのが相当である。
そして、申立人は事件本人らを相手方のもとに送る旅費および相手方のもとに滞在中の事件本人らの生活費ならびに、相手方が来日して事件本人らと面接交渉をもつ一週間の事件本人らの生活費は、監護について責任をもつ申立人において負担すべく、相手方が来日する場合の相手方の旅費は相手方において負担すべきものとするのが相当であろう。
なお、事件人キヤミルが高校を卒業する一九七一年の新学期以後においては、面接交渉についても本人の意思を尊被し、申立人と相手方は本人との協議によつて行なうべきものとし、その後における相手方と事件本人エラとの面接交渉については、高校卒業まで前述のとおりの方法によつて継続することが相当であると考えられるけれども、事件本人キヤミルと行動を共にすることができなくなるほど事情の変化のあることを予想し、キヤミルと行動を共にしうる時までの面接交渉について定めることとし、それ以降の面接交渉については改めて当事者間において協議すべきものとする。
(四) 以上の次第であるから、事件本人らの監護者を申立人の単独監護に変更し、相手方と事件本人らとの面接交渉の詳細は前記のとおり定めるべきものとし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 野田愛子)